クイズ番組で答えられる知識と、教養。似ているようで、指しているものが違います。年号や人名をいくら覚えても「教養がある」とは言われない一方で、歴史の本を数冊しか読んでいないのに、ニュースの背景を立体的に語れる人がいます。差は知識の量ではありません。知識と知識のあいだに線が引けているかどうかです。

リベラルアーツという語源

教養は英語で liberal arts と訳されることが多い言葉です。古代ギリシャ・ローマでは「自由人の技芸」、つまり奴隷ではない市民が自分の頭で判断するために身につける学問を指しました。文法・論理・修辞に、算術・幾何・天文・音楽。分野がばらばらに見えて、目的はひとつです。人の意見を鵜呑みにせず、自分で考えて生きること。

この語源は今でも役に立ちます。教養の目的が「自由」だとすれば、何かを覚えること自体はゴールではありません。覚えたことで、世界の見え方が変わるかどうかが問題になります。

「つながり」ができると何が起きるか

たとえば円安のニュースを見たとき、経済の知識だけで読むと「輸入品が高くなる」で終わります。ここに歴史の線がつながると、1971年のニクソン・ショックや1985年のプラザ合意という前例が浮かび、為替が政治の道具でもあることが見えてきます。哲学の線がつながると、そもそも通貨の価値とは何への信頼なのかという問いが立ちます。同じニュースが、三層くらい深く見えるようになります。

教養とはこの「線の本数」のことだ、というのが当メディアの立場です。線を増やす一番の近道は、分野の入り口になる本を一冊ずつ読むことです。

最初の一冊

教養という言葉そのものを考えたい方には、阿部謹也『「教養」とは何か』(講談社現代新書)をすすめます。日本で「教養」がどう受け止められてきたかを、西洋の「世間」との比較で解きほぐした一冊です。読み終えると、この記事で書いた「つながり」の話が、別の角度からもう一度見えてきます。